理解

人間は 自分の理解を超えるものに出会うと
それを 排除しようとする
その行動は 防衛本能からくるものなのであろうか
自分の 理解外のものを 受け入れるためには
より 多くの力を必要とする
自分自身に余裕がないと 受け入れられないものだ
例えば 最近 世界各地でテロが起きている
我々のように 何の不自由も無く
日常を暮らしているものにとっては
それは 脅威であり 悪である
しかし テロを行う人々にとっては
正義であり 神格化されるべき行為なのかもしれない
自分は 決して テロを認めているわけではないし
暴力による 正義など あってはならないものだと思う
だが 実際に テロを行うことでしか
主張できない人々が存在し
そんな 人々の主張に 耳を貸さない世界がある
テロを無くし 排除すれば
平和な世の中になるとは 到底思えない
その根底には やはり 主張を曲げざるを得ない
人々の暮らしがあるのだから
「テロを行うグループを 排除しました」
「これで平和な世の中になりました」
と言われたとしても それはそれで 新たな脅威の誕生だろう
個人の自由を 許さない世界という*1
世界には たくさんの人々が存在し
自分の理解では 推し量れないところもたくさんある
しかし 誰一人として 同じ人間がいないからこそ
人は出会いを大切にし 別れを惜しむのである
理解できないから排除するなどという 行為ではなく
融和という行為で 平和が訪れることを切に願う
人間は 自分が生きるとき 何かしらの希望を抱いて生きている
全ての物事が やれば出来るとは 思えない が
全ての物事が やってみなくちゃ 分からない
「give & take」
与えてみてこそ 与えられるものもあるはずだ
世界は広い そして 大きい
一方的になることなく
もっと いろんな考えに 理解を示してほしいものだ
HOPE!!

*1:ここまで言うと極論だが